山上の下水道

高野山は、海抜800mの山岳盆地にあり、緑と歴史の重みにあふれた町です。昭和に交通機関が発達し、高野山のまちが修行の山から参詣・観光地と変わり、高野山独特の「かわや式」水洗便所のため水質汚染が問題化し昭和8年に計画、昭和11年11月21日に75haの供用を開始しました。

昭和45年になると、当時としては高級処理の処理場も老朽化や過負荷のため処理機能が低下、再び河川の汚濁が進み下水処理施設の見直しが必要となり昭和48年に基本計画の調査を行い、高野町公共下水道の基本計画を策定して昭和50年度から第1期事業に着手、念願の新下水処理場が昭和55年10月に完成、昭和56年4月に第1分区108.4haの供用を開始しました。昭和60年11月には第2分区(鶯谷)14.7haの供用、昭和61年度に第3分区(南谷)1.2haを整備し、平成11年度には、計画区域の拡張を行い18.7haを整備、計画面積の143haの汚水整備を完了しました。平成2年度からは昭和初期に布設した管路の改築・更新を実施中です。

今後は処理区域の拡張、水処理施設の増設、雨水管の整備、汚泥の削減、処理施設の改築・更新等の課題が累積していますが、明るくて住みよい快適な街になることを願って努力しています。

むかしの下水道

水量の豊かな高野山独特の下水システム。平安時代から着手していました。

むかしの下水道

高野の山は信仰の象徴でもあり、汚物をもって汚すことがはばかられたこと、また山奥の割には水量が豊富だったことからその水をうまく使って糞尿の排せつの処理に使っていた。 この方式は、高野山独特のもので便所の下には常に水が流れていて、屎尿を川へ運び流下する間に 希釈・沈殿・曝気などの川の自浄作用により浄化するシステムが平安時代にできていた。

昭和初期の処理施設

町村で最初の処理施設を平面図で紹介します。

汚水処分場平面図/断面図

第1処理場は、ドイツのインホッフ槽による沈殿処理で沈殿槽が上下二槽に分かれていて 下の槽では沈殿汚泥を加温し消化させる装置もあり天日乾燥床も有した当時としては高級な 施設で昭和55年10月に高野山下水処理場が完成するまで稼動していた。

この時代に、終末処理場を持って屎尿を下水道に受け入れることができる都市は、全国でも7市町しかなかった。
東京・大阪・名古屋・京都・岐阜・豊橋の6市と和歌山県高野町であった。

高野町の下水道計画

高野町が進めている下水道の基本計画です。

  1. 公共下水道処理区域においては、老朽化した汚水管路等の更新・改築を行い処理施設の効率化・高度化を図り水質保全に勤める。
  2. 100人以上で集合処理が可能な地域においては単位処理区を設定、特定環境保全公共下水道(簡易な下水道)、農業集落排水施設事業・し尿処理施設事業で整備する。
  3. 集合処理区の周辺地域で集合処理ができない地域は、個別合併浄化槽(町維持管理)で整備する。
  4. 単独浄化槽を設置しているところについては、合併浄化槽への転換指導を行い整備の促進を図る。

特定環境保全公共水道事業 西細川処理区8.5ヘクタール供用

公共下水道事業 高野山処理区143ヘクタール供用

このページに関するお問い合わせ

生活環境課 上下水道係
電話:0736-56-3760
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